薩摩君とは

彼の(社会的な)素性

彼は、一見すると堂々とした態度をしていましたが、近くで見るといつも伏目がちで自信の無さそうな表情をしていました(俗っぽく表現すると、暗い男でしょう)。また自ら進んで外に出る性格ではなく(所謂"引き篭もり"では無かったのですが)、加えて口数も少なく社交的な性格ではない為に、友達と呼べる人が少なかった(殆ど皆無)と思います。それは彼自身が言っていましたが、そのことを気にかけていないという事は、少なくとも傍から見てありませんでした。心の底で、どうにかしようという思いがあったに違いありません。

趣味や特技もこれといって無く、大学でのサークルなどへも参加していませんでした。休日などは、特に用の無い時は家の部屋で一人で音楽を聴いたりテレビを見ていたりして退屈した時間を送っていた筈でしょうが、彼は寧ろ退屈を好んでいたようです。

周囲の自分への評価は人一倍気になっていたようで、しきりに自分の服装・動作は変じゃないかと私に尋ねた事があります。彼が通りかかった時に、何の関係も無い話で笑い声が聞こえてくると、彼は自分が笑われているのではないかと気にして、時には落ち込んでいました。

彼は自分の思い通りにならないことに対して、簡単に諦めてしまう事がよくありました。読書・楽器演奏などには挑戦するものの、継続はしませんでした。

私の思う彼

彼は、間違いなく自分勝手な人間でした。結局私は彼に振り回され、為すがままにされていたのかもしれません。しかし私はそのことについて何の後悔、怒り等の念は抱いていません。むしろ彼を理解しようとしがみ付き続けていることに対して、ある一種の誇りさえ抱いています。

彼は何者なのか

彼は最後まで、私にさえも自分が何者であるか明らかにしませんでした。勿論、この場合の"何者"に対応する"正体"とは、彼の職業・性別・年齢などの、社会的な、ある種表面的な身分としての正体を指すものではありません。もっと本質的な、しかし一方で抽象的な"彼の核心"について、私は追求し続けています。


Yoshida Hidetada